2001年05月29日(火)

    「たまたま、祭司がひとりその道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った」(ルカ10:31)

    
 一人の女性、ある会合でスピーチを頼まれていた。
朝、渋滞が常なので、急いで出掛けたが、早くは無
かった。途中で隣家の主婦がバス停に向かって急い
でいるのを見た。彼女の顔はこわばっていた。
でも、今彼女を乗せてあげるために止まれば、車の
混雑から抜け出るのに時間がかかり、本当に会合に
遅刻すると思えた。
それで明るく手を振り、彼女を置いて目的地へ急い
だ。心に罪意識があった。ギリギリで到着できた。
仲間が十分遅刻した。後で理由を言った。
「あなたの後ろを走っていたの。あなたが手を振った
彼女を見たの。バスに乗り遅れたのよ。怪我をした御
主人を見舞いに病院に行く途中だと思ったの。
それで車を止めて乗せてあげたの」彼女は自分を恥じた。
時間に間に合ってよい印象を与えたいと言うプライドよ
り隣人の必要を優先するべきだった。
本当は、それがわかっていたが、出来なかった。