2005年12月29日(木) 「 神が私を殺しても、私は神を待ち望もう」(ヨブ13:15)
「 神が私を殺しても、私は神を待ち望もう」(ヨブ13:15)
神は、私達に、より神に近くなるようにと、 暴風雨にさらされるのを、あえて許される 事がある。平安に穏やかな日々を過ごして いたのに、ふと気づくと、別段理由は無い のに、突然、困難の中にいる事がある。 経験するだろう。何がどうなったのか、不 安、恐れに襲われる。こんなに苦しいのに、 神はわかっておられるのかと思う。 しかし、特別な目的があるのだ。神はヨブ の信仰を認めておられたので、サタンのヨ ブを試すという申し出を許可された。 ヨブを信頼しておられたからだ。ヨブは、 見返りがあるから、神に仕えているだけと いうサタンの主張を、砕いてしまった。 神はあなたも、忠実な者だと認めて、サタ ンの試みを許されたかも知れない。 神はあなたを信頼し、じっと見守っておら れる。親が、子供の手を引いていて、子供 が石で転びかけると、ぐっと手に力を入れ て強く握り、倒れないよう支え守る。試練 の時は主の特別な愛と支え守りが、あなた の上にある。 ---------------- 信仰がなければはただ辛く、失望の中の試練 だが、神様に望みをおいて生きているなら、 必ず御心の時に助けが来ることを見つめて 行ける。試練の送り手は神様だ。