2006年01月29日(日) 「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人にはこの教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているかがわかります」(ヨハネ7:17)
「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人にはこの教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているかがわかります」(ヨハネ7:17)
よくみこころがわからないという。主は 導きの主だ。導こうとされている。問題 は私たちの側にある。御心をと言うが、 実は心の底に、自分ですでに決めた思 いがある。これは気づいていない場合 もある。自分では求めている「つもり」だ。 しかし、主の御前に心を静めて、心を広 げる時、御霊は内側を示して下さる。自 分の思いが妨げている。「〜したい」と いう強い思いがある時、主の心が見えな い。しかし、自分の意志を明け渡す時、 必ず導きがわかる。明け渡すとは「自分 の思い通りでなくて構いません」という事 だ。思いと違っても、受け入れ従うという 事だ。その態度があるなら、必ず御心 がわかる。明け渡している「つもり」が、 実は底に自分の強い思いを握っている。 御霊によく心を探って頂こう。自分の現状、 本当の姿をはっきり認識する事から大い なる祝福は始まる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 思い通りにならない所を通される。自分の 強い思いが粉々に砕かれる。大変な衝撃を 受けるが、その時初めて主が見えて来る。 何にも代えられない主ご自身に出会う。 自分が妨げていた事に気づく。