2006年03月29日(水)

「蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥が来て食べてしまった」マタイ13:6

前日の内容に続くが、自らの心に偏見
があれば、対人関係に歪みが生じるよ
うに、御言葉に対しても同様だ。御言
葉は真理であり、正しいが、もし、自
分の目が歪み、曇っていれば、正しく
受け取れない事になる。御言葉への偏
見や固定観念があるなら、道ばたに落
ちた種になってしまう。道ばたは人の
往来で踏み固められ、カチカチだ。御
言葉をはじき返してしまう。私達の心
はどうだろう。この事に関して、自分
はこうしようと固い意志があるなら、
御心をと求めても、自分の心が定まっ
て固定しているので、神の御声が入ら
ない、聞こえない。聞こえないという
より実は聞きたくない。しかし、聞き
たくないとは思っていない。自分はあ
くまでも御心を求めている「つもり」
だ。むしろ聞きたいと思っている。こ
の心の欺瞞に気づいていない時、主が
あわれんで下さり、真実を見せて下さ
るように。
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心に建前と本音がある。建前で生きて
いるので、本当の自分がわからなくな
る。御言葉の鏡と御霊によって本音
が照らし出され、本当は自分はどう思
っているのかがわかる。そして主が愛
し受け入れて下さっているのは、その
本音の自分である事を知る。