2007年08月29日(水)

「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません」Tコリント10:13

人は試練に会う時、「神様、なぜ?」
「なせ?自分に?」との問いを発せず
にはおれず、どうしても「なぜ?なぜ
?」と思う。その時は、明確な答えが
無い事も多い。しかし、時を経て振り
返る時、パズルのように一つ一つがつ
ながっている事を見い出し、その意味
がわかったりする。又、天国に帰って
初めて理解する事柄もあるだろう。今
はわからない事も、天国ではっきりと
その意味がわかるので、賛美と感謝し
か無いのだろう。しかし、今、わかる
範囲でも、神には決して無駄は一つも
なく、すべての事に時があり、神のな
さることは、すべて時にかなって美し
いと言える。時に、真っ暗闇の中にい
ると感じる事がある。トンネルの中は、
何も見えない。試練の中にいる時に、
この試練が永遠に続くかのように思っ
てしまう。まず気力が失せて、希望が
持てない。しかし、それはサタンの惑
わしだ。トンネルは必ず出る。試練は
一定の期間だ。耐えられない試練は無
い。耐えられるように「脱出の道」が
ある。必ず道がある。絶対に諦めては
ならない。しかし、これは試練を受け
入れた時にのみ、脱出の道があるとい
う事だ。試練をよけて、逃げて、避け
ていては、この約束には立てないばか
りか、ただ痛いだけだ。受け止めて、
学ぼう。
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試練の中でしか聞けない御言葉があり、
試練の中でしか得られない学びがある。
苦しみに会ったことは幸せでした、あ
なたを知れましたと必ず言える。痛い
が希望がある。