2007年09月28日(金)

「私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10



私達の人生に突然試練が来て、パニッ
クになり、右往左往するが、しかし、
試練は必ず来る。私達が予定に入れて
いないだけだ。1年の計画を立てる時
に、この辺とこの当たりに試練が来て
などと、計画を立てない。必ず来るの
に計画に入っていないので、突然襲わ
れる事になる。しかし、聖書によると、
別に突然ではなく、信じた者は必ず取
り扱われる。愛する者を懲らしめ、受
け入れるすべての子にむちを加えると。
もし、試練が無ければ、私生児であっ
て本当の子ではないと。突然、試練に
遭遇した時に、動揺し、混乱し、失望
落胆するだろうか。ある人は不運を嘆
き、絶望するだろうか。ある人は試練
をよけて、避けて、逃げてしまう。
決して見ようとしないで、現実逃避し
てしまう。しかし、その試練を逃げな
いで、受け止める時、それが無ければ
決して見る事のできない、新しい世界
を見る。その試練を通してでしか、見
る事の出来ない世界だ。そこで新たに
主に出会う。主は同じだが、自分自身
が新たにされるのだ。どう向き合うか
は大切だ。すぐに肉の反応が出て来る。
「もうだめだ」「何で私ばっかり」不
信仰、自己憐憫、愚痴、不満だ。しか
し「逃れの道がある」「神は愛してい
て下さる」「神は導かれる」「益とな
る」「計画がある」との信仰的、肯定
的態度が取れる。不信仰でなく、信仰
を選ぼう。成長の時だ。
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試練にあうから信仰は試され、いかに
自分が不信仰であるかを知らされる。
そこで得た励ましや祈り、共にいてく
ださる主の守りを感謝する時、傲慢な
者が謙遜にさせられる。試練が悲しく
辛いだけでないと知っている事は大き
な力だ。