2007年10月29日(月)

「肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです・・しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にいません」ガラテヤ5:17



神から視点がずれると、すぐに律
法の下に身を置いてしまう。自分
で何とかしようと、自分の力で頑
張る。あなたは今、恵みの下にい
るだろうか、律法の下か。神を愛
そうとするが出来ない。従おうと
するが、従えない。そうなると、
ますます自分はダメで、神にも認
められず、受け入れられず、信仰
失格者みたいに思ってしまう。こ
の律法主義に陥ると、十分、満足
という事が無い。どこまでやって
も、満ち足りる事が無い。いつも
自分は足らず、十分でなく、自分
の足らなさのせい、至らなさのせ
いと、自分を責めて落ち込む。常
に、あれをしなくちゃ、これをし
なければとの脅迫観念があり、追
い立てられている。あれが出来て
いない、これも出来ていない、仕
事は山積みで、休む事など出来な
い。いつも平安が無い。この状態
は要注意だ。律法の下に自分を置
いている。そこには安堵がない、
安心感がない、喜びが無い。出来
ない自分が許せない。こんなはず
ではないと思う。イライラし、焦
り、思い煩い、周囲に当たるよう
になる。ベタニヤで主をもてなし
たマルタ状態だ。しかし、主に向
く時、おおいが除けられ、こんな
自分をこのままに愛していて下さ
る主の愛に向き合う。十字架の愛、
赦しを受け取り続けること、ここ
に安堵と、憩い、喜びが来る。恵
みの下だ。
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良い事をしながら、なぜか主から
遠く離れた所に行ってしまう経験
をする。このままで愛されている
事をしっかり受け止めていないの
だ。自分のためにやっていないか
良く吟味してみよう。主が助けて
下さる。