2007年12月29日(土)

「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」創世記3:12

私達はよく責任転嫁をする。人の
せいにしていれば、自分を見なく
て済むからだ。自分が怒るのは、
相手が怒らせるような言動をする
からで、そうする相手が悪い。相
手がそう言わなければ、怒らない
のにと。そう思っている。自分は
正しくて相手が悪い。相手を憎む
のは、相手がそういう態度を取る
からであってと、自分を正当化し
てしまう。状況が悪い、あの人、
この人のせい、人のせいにしたい
誘惑が来ないだろうか。ある人が
同僚とぎくしゃくした。悶々状態
の中、心は辛く重苦しい。祈りを
もって主の御前に出た。心を打ち
明ける中で、気づかされた。相手
も確かに悪いかも知れない。しか
し、自分の内にある相手への怒り
や憎しみや裁く心、これは自分の
問題であり、自分に責任があると。
主の御前に、逃げず、言い訳せず、
自分の問題である事を認め、悔い
改めた。その時、心が変えられた。
平安が来て相手との和解に導かれ
た。ある人はずっと父親を憎んで
いた。確かに父親にも相当の問題
があった。しかし、そうであるに
せよ、憎しみは自らの罪と認め、
悔い改めた。その時、心が溶かさ
れて行った。人のせいにする事は、
人に依存して生きている事だ。
「自分の足でまっすぐに立ちなさ
い」本当の自分の姿を認める事が、
責任を取り自分の足で立つことだ。
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逃げないで自分で責任を取り、自
分の足で立つ人生を与えて下さっ
ている。ここにこそ、しんどくて
も痛くても、主と共に生き生きと
生きる実感が伴う。生きる喜びを
味わって行く。