2008年05月29日(木)

「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れても、まっさかさまに倒れはしない。主がその手を支えておられるからだ」詩篇37:23

主は人の歩みを導いて下さる。主の導
きに従って歩むなら、主は喜んで下さ
る。そして、主の喜ばれる道を歩むな
ら、主がその手を支えていて下さる。
つまり、御心を歩むなら、主が責任を
取って下さるという、保証付きだ。し
かし、御心の中ではなく、自分勝手に、
自分の思い通りの道に、自分の好きな
道に、自己中心な欲望の道に歩んで行
くなら、その結果を刈り取る事になる。
神は私たちをロボットに造られなかっ
たので、決して強制も強要もされない。
首に縄をつけて引っ張られない。私た
ちの自由だ。しかし、自由には責任が
伴う。神の道からそれると、歩みに確
固たる確信が失せるので、人の目が気
になり、人を恐れるようになる。平安
が心に無いので、思い煩いと不安に支
配される。波風にほんろうされる小舟
のように、常に変わる状況に振り回さ
れて、飲み込まれて、あたふたする。
心が定まらないからだ。主の御声を聞
いて、御心を歩む時、確固たる歩みが
できる。主によって歩みが確かにされ
る。そして揺らぐ事のない平安が心に
ある。だから、状況がどうであれ、信
仰によって前進して行くことができる。
主の御声に耳をよく傾け、聞いた言葉
に従って行こう。それが確かな歩みだ。
御心を歩む中で、様々な想定外の事が
起きるが、主がその手を支えて下さっ
ているから心配無い。何と安心だろう。
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御声を聞いて歩む時、状況が、人が、
どうあろうと確信持って進んで行ける。
主が歩みを堅くし確かにして下さるからだ。
御心に従って試練にも会うが、主の支え
の保証付きだ。