2008年07月29日(火)

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」ガラテヤ5:18

信仰生活、御霊に導かれて歩んで
いるなら、一つ一つの事柄が、決
して重荷とはならない。しんどく
ない。律法の下にはいないからだ。
何か重苦しくて、しんどくて、イ
ライラしているなら、肉によって
歩んでいる。御霊の中にいないで、
肉の中にいる。何かが違うと感じ
るだろう。そんな時は立ち止まっ
て、主の御前に出ることだ。気づい
たなら、そのつど主に委ねて行け
ばよい。すでに古い人は十字架で
キリストと共に死んでいる。しかし、
自分の思いと自分の力で歩む時、
律法の下に自分を置く事になる。
その度に、主を見上げるなら、再
び律法ではなく、御霊の導きの
もとに自分が置かれる。ある人は
日々非常な忙しさで、深夜帰宅の
早朝出勤が続いた。デボーション
もできずに、心身共にクタクタで
疲れ果て、許容量オーバー状態
になった。わけもなくイライラピリ
ピリし、心は不満といら立ちで一杯
だ。限界を感じ、昼休みに公園の
片隅で、聖書を開き、主に祈った。
心を打ち明け、心にある一つ一つ
を申し上げ、重荷を主のもとに下
ろした。しばしの時間であったが、
心を注ぎ出し、主と交われた。すると
午後からの時間、心が潤い、安らぎ
と喜びが戻り、すっかり変えられて
いる自分を発見した。どんな状態
の中でも、そこで主を見上げ、主
を呼ぶ時、再び御霊のもとに導き
返される。しんどくて苦しい状態なら
何よりその事をありのまま主に告げよう。
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主から離れて自分の力で動き回る
時、私たちは徐々に枯れてしまう。
律法の下に置かれてる事に気付い
たなら主から力を得て御霊による
歩みに変えよう。