2008年10月29日(水)

「このように、あとの者が先になり、先の者があとになるのです」マタイ20:16

               

先の者が後になり、後の者が先になるからには、何かの理由があるはずだ。
それは、その働きの単に目に見える結果でなく、「動機や態度」が見られる
という事だ。

この世で働く時、その動機まで問われる事は無い。
動機など関係なく、つべこべ言わず、結果さえ出せば良い。何よりも目に見える
結果が重要であり、すべてだ。それがこの世の価値基準だ。

その価値観に慣れていて、目に見える結果だけを問題にしがちだ。
しかし、神の国では違う。神が見られるところは異なる。

主はすべてを捨てて従った弟子達のその動機、働きの動機を見られる。
動機と態度を問題にされている。

最初の者と最後の者は、一日の終わりにその動機が明らかになった。
「一日中辛抱した」辛く苦しい労働であり、主人のために働く事はしんどい、
嫌な事であり、同じ一デナリと判明した時には、不満と怒りが爆発した。

自分達にはもっと貰う権利があるとの立場だ。
実は早朝から糧が保証されて、平安に安心して一日働けたとは何と感謝な事だろう。

夕刻まで糧の無い人々は不安と恐れ、思い煩いで一杯だった。

信仰生活、恵みを忘れると不満タラタラ、神のためにしてやっているとの、恐るべき
態度になる。今一度、御前にへりくだって、喜びと平安と感謝に、恵みの下に帰ろう。
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救われた時の喜びが、時と共にうすれ、ただ忙しく奉仕におわれてはいないだろうか。
知識も蓄え、礼拝もしているのに主の御心から離れている気がするなら、もう一度、
恵みのもとに立ち返ろう。