2008年12月29日(月) 「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり」マタイ7:9
「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり」マタイ7:9
主は「さばくな」と言われると同時に、「見分けよ」と言われる。裁くことと識別し、評価し、判断することは別のことだ。 犬や豚をきちんと見分けなければ、どうして主の命令に従えるだろう。識別力を行使しなければ、犬や豚を判断することは不可能だ。 又「霊だからといってみな信じてはならない」と言われる。 世の終わりには、多くの偽預言者たちが出て来る。 何もかも受け入れて、信じてはならない。この世にあっては 「蛇のようにさとく、鳩のようにすなおで」あるべきだ。 では「さばき」はどうだろう。人を「さばいて」いる時は、自分の内に密かな優越感がある。上に立って、相手を見下している。 そして自分は義であり善なのだ。 又、相手の非や足らなさ、失敗を見た時に快感があるなら、それは肉であり、さばきだ。それは「さばいてはいけません」を犯している罪だ。 肉は、妬みの対象、敵対心のある相手の失敗を喜ぶものだ。これは肉の性質だ。又、肉は批判が大好きだ。自分の内に誰かに対するさばきがあるなら、悔い改めよう。 そして、さばきと識別を区別して、光の御使いに偽装して来る偽預言者、又、福音に敵対し、踏みにじって来る者を見分ける事ができるよう祈り求めよう。 「さばき」と「識別」を混同してはならない。 ---------------------- 人に向かって行く批判がどこから出ていようと、それはみな罪だ。見て行くものは霊の領域、よく祈り導きを求めよう。必ず識別させて下さる。