2009年01月29日(木)

「『あなたは、どこにいるのか』彼は、答えた。『 私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました』」創世記3:8




「あなたは、どこにいるのか」と主はいつも私たちに語りかけられる。私たちは罪を犯した時、間違った時、動機が悪い時、主の御顔を避けて隠れる。

信仰者も主の御顔を避けて生活してしまう。人間は善悪の知識が入ったゆえに、罪を犯したままでは、主に顔向けできないことを知った。

その上、主が聖い方であるので、ますます神を避け、神から遠ざかる。御顔を避けて、神の御前から逃げると、正しい判断、思考が出来なくなって来る。

「どこにいるか」は極めて大切だ。私たちは良いものに見られたいので、外側を懸命に取り繕う。良さそうなものに見せる。しかし、それは全く意味をなさない。

外側を作り、何か立派なものに良いものに見せようとするが、
居場所が最も大切だ。私たちは罪を犯すと、失敗すると、本能的に神を避ける。

善悪を知る知識により、まずいと判断するからだ。しかし、御子の十字架の贖いがあるからには、恐れなく大胆に恵みの御坐に近づける。

罪のための十字架だ。「どこにいるのか」は神が知らないから問うているのではなく、裁くため、責めるための問いではなく、赦すため、神に立ち返らせるためだ。

主のもとにいる事が、私たちの最大の幸せであり、喜びだ。何をしているかでなく、どこにいるかが大切だ。「あなたはどこにいるのか」もし今、主と距離があるなら、すぐに主のもとに帰ろう。
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罪を犯したままでは落ち着かない。私達の居場所は「どこにいるのか」と呼びかけて下さる神様のもとだ。そこで、悔いた心に赦しと回復を再び与えて下さる。