2025年09月02日(火)

「しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、 立って、ヨッパに下った」ヨナ1:3


主はヨナに、ニネベへ宣教に行くよう命じられた。しかしヨナは、
ひどい敵国ニネベが気に入らず、「主の御顔を避けて」、行きた
くないとの態度だ。そこに丁度、反対方面行きの船があり、何と
その船に乗った。すると嵐になった。ヨナはこの嵐は自分のせい
であり、自分を海に投げ込むようにと言った。そうすると、主は、
海中に大きな魚を備え、ヨナを飲み込ませられた。

その中でヨナを守られた。ヨナは悔い改めの祈りをし、魚の腹か
ら出た後、今度は素直にニネベに向かった。何と滅びを告げる
ヨナの言葉に聞き従い、ニネベの人々は皆が悔い改め、王まで
従った。主は災いを思い直された。それがヨナには納得行かず、
心が収まらない。小屋を作り、陰に座り、どうなるか見てやろうと
の、すねた態度だ。

主はとうごまで、日陰を作られ、ヨナは喜んだ。だが翌日、虫で、
とうごまが枯れた。焼け付く太陽は照りつけ、ヨナは衰え果て「死
んだ方がまし」と死を願った。機嫌を損ね、直ったかと思うと、又、
機嫌を損ね、死にたいと願う。私たちも、さ細な事で、信仰が揺れ
動く。うまく行けば大喜びし、逆だとひどく失望し落ち込む。目に見
える所に振り回されてしまう。

大事な事は、主は、ヨナを大きな愛で愛されて、ヨナが主の御心
をそれても、その主の愛は変わらない。決して見捨てず、見放さ
れない。何があろうと変わらない不変の愛で、ヨナに目を留め導
かれる。この同じ愛で、私たちも愛されている。もし今、御顔を避
けているなら、主に向き、御心を行なえるよう祈ろう。何にも代え
られない大きな喜びがある。

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自分の意に合わない事は、従うことが非常に難しい。しかし、それ
は、御顔を避けてしまうことになる。喜びや祝福から遠ざかってし
まう。自分には出来ないので、従えるよう、祈ろう。主が従えるよう
に助けて下さる。そして主の愛を知ることになる。