2026年10月09日(金) 「また立って祈っているいるとき、だれかに対して恨み 事があったなら、赦してやりなさい」マルコ11:25
「また立って祈っているいるとき、だれかに対して恨み 事があったなら、赦してやりなさい」マルコ11:25
「神を信じなさい」と言われる主は、祈りに関して、素 晴らしい約束を与えられた。信じるなら、その通りにな ると。「すでに受けたと信じなさい。そうすれば、その とおりになります」と。何と恵みの言葉だろう。しかし 次に続いている。「誰かに対して恨み事があったら、赦 してやりなさい」と。ここで赦す事が言われていて、赦 さない心は、祈りを妨げてしまうと。 それは、まず主があなたを赦して下さったのだから、相 手を赦しなさいと。私たちは、しばしば失敗する。しか し主は、常に豊かに赦し続けて下さる。罪を犯さないの ではなく、弱さのゆえに犯してしまうが、赦されて、赦 されて生きている。まず恨みや赦さない心があると、祈 れなくなってしまう。平安が無く、心は重く、主と自分 の間に、距離ができてしまう。 ある働き人が、大きな大会の説教奉仕のために、切に祈 り求めた。しかし幾ら祈っても語るべき言葉が与えられ ない。期日は迫り、尚も与えられず、徹夜祈祷の覚悟を 決めた。祈りの中で心の奥底にあり、自分でも気づかな かったが、ある人々に傷つけられた赦せない心、苦々し い思い、恨みが潜んでいた。 以前の事なので、普段は意識にも上らない。しかし決し て赦していない。恨んでいる。御前に心から悔い改め、 その人々を赦した。その時、平安が心に広がり、祈りは 見事に答えを得た。赦さない心は、祈りをさえぎってし まう。もし赦せない思いがそのままなら、ありのまま、 主に持って行こう。 ------------- 恨みや憎しみは主に打ち明けながら、明け渡していきた い。憎しみをそのままにしている事に慣れてしまわない よう、御前に近く、正直でいたい。