2026年09月08日(火)

「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たち のほうが、あなたがたより先に神の国に入っているので す」マタイ21:31



主が二人の息子のたとえ話をされた。父親に「ぶどう園
に行き、働け」と言われた。兄は「行きます」と言った
が、行かなかった。弟は「行きたくない」と断ったが、
後から悪いと思い、出かけた。「どちらが父の願った通
りにしたか」と祭司長や律法学者達に問われた。彼らは
「後の者です」と答えた。

主を拒否している彼らであったが、そう言ったというか、
言わずにおれなかった。主は、弟息子は取税人や遊女の
ようだと言われた。彼らは律法に従わず、罪を犯してい
たが、ヨハネの悔い改めの教えに聞き従い、ヨハネがメ
シアだと指し示した主を受け入れた。逆に、行くと言い、
実際には行かなかった兄息子は、表向きは道徳的で、立
派な行ないをしているように見える。

しかしそれはヨハネを拒み、彼の言葉を拒み、主を認め
ず受け入れない、彼らの姿であると言われた。私たちも
どうだろう。クリスチャン生活が長くなると、外側、ク
リスチャン的振る舞いができてしまうが、心は、主に入
って欲しくない、主を拒否している領域があるだろうか。

「あなたの行く所どこにおいても主を認めよ」とあるが、
信仰生活どこにおいても「主を認める」のでなく、自分
の思いが強くなっているだろうか。そうなら、主が見え
なくなってしまう。主を認めず、自分が強くなっている
か、心の内を御霊に照らされ、導いていただこう。
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口ではするりと正解を言い、行動はまた別なら、主との
関係はどうなっているのだろう。御霊に示されたなら、
主に従順になりたい。主の御心を行いたい。