2009年07月12日(日)

「私たちも、いっさいの重荷とまとわりつく罪とを捨てて・・競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか」ヘブル12:1 

          
                              
競走をするのに、邪魔になるものがある。重荷とまとわりつく罪だ。ずっしり重
い荷物を背負って、競技するならどうだろう。あり得ない。又、足もとにまとわ
りつく物があれば、からみついて、走れない。

信仰人生に、一人一人色々な重荷がある事だろう。ある人々には常に信仰に反対
する家族、又、職場で学校でのけ者にされ、嫌がらせをしてくる人々かも知れな
い。

そんな場合は、御言葉の通りに、重荷としては捨て去る事だ。そしてをれを改め
て自分に与えられたくびきとして、受け取り直すのだ。

その時、嫌々でなく、渋々でなく、その訓練の中で、練られ聖められる。又、自
分の力という重荷がある。自分の思い、自分の力で走ろうとする。辛くて、苦し
くて、しんどくて息切れして、あえぎあえぎとなり、走れなくなってしまう。

又、罪はきっぱりと、捨て去らなければならない。それは欲望を標的に、執拗に
からみついて来る。

若い役人は、主のもとに来たのに、からみつく偶像を捨てる事ができず、主のも
とを去った。ダビデは異性の誘惑がまとわりついた。

あなたにからみつく罪は何だろう。足を前に踏み出そうとすると、まとわりつい
て来るものだ。思いあたるかも知れない。走れないので転んでしまう。

罪が取り返しのつかないものになる前に、きっぱり捨て去ろう。主は、信仰の走
りを助けて下さる。

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きっぱり捨てるべきものは何だろう。又、くびきとして、しっかり受け取り直す
ものは何だろう。くびきは逃げたり、嫌々、渋々だと余計に首を絞め、辛くて苦
しいばかりだ。しっかり受け入れ、負うと軽くて、平安をもたらし、心地良いも
のとされる。