2009年08月11日(火) 「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか」ヨハネ5:44
「互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたは、どうして信じることができますか」ヨハネ5:44
私たちは誰しも、幼い時から人に認められたい、人からの評価が欲しい。小さな子供が、絶えず親に「見て」「見て」と注目を求めるのを見てもしかりだ。 人に認めて欲しいという欲求は、根深いものがある。 人からの評価が得られない時、大きなストレスとなる。この部分に、サタンは巧妙に、狡猾に誘惑して来る。主が荒野で誘惑を受けられた箇所で、サタンは、神殿の頂から身を投げたらどう、と誘惑した。御使いが助けるよと。 そうするなら、スーパーヒーローになって、注目の的になり、人気独り占めとなるよ、と。人々の注目を一心に集めた上で、人々を救ったらよいではないかと。 大パフォーマンスであり、人々の喝采を浴びるだろう。 人々から注目を浴びる快感、誰しも、人の前で良い格好したい、格好よく見せたい、大きな誘惑だ。主イエスにも来た誘惑だ。私たちの心に、この誘惑が忍び寄って来る時、御霊が見分けさせて下さるように。 人の評価を求めるところから、プライドや虚栄心、優越感や劣等感の高ぶりや妬みが、むくむくと頭を出してくる。 人の評価でなく、神の評価を求めて生きる時、がんじがらめになっている拘束から解き放たれて、自由にされる。 真に自分らしく生きる事ができる。人の評価を求めている自分に気づき、神に助けを求めよう。神の評価に立つ者と変えて下さる。 ---------------- 人からの栄誉を受けようとするなら、いつも優越感と劣等感のくり返しのなかで、心の休まる時がない。しっかりと神様に繋がることで、自分、自分の思いを捨てていこう。