2009年11月10日(火)

「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう」ピレモン15



オネシモは、ピレモンの奴隷であった。主人のものを盗み逃亡。しかし、捕らえられ投獄、そこでピレモンを知っていたパウロに出会う。パウロに導かれ回心した。当時、逃亡奴隷は死刑であった。

パウロは新生し、変えられたオネシモを確認し、主に在る兄弟として、受け入れてくれるようピレモンに手紙を書いた。オネシモは彼の名の通り、無益な者が「有益な者」に変えられた。主のみわざだ。

私たちの人生も同様だ。様々な事態が生じ、時にはその先が見えず、大きな不利益、マイナスにしか見えない事態が、「すべてのことを働かせて益」とされる方により、大いなる祝福と豊かな結果へと変えられる。

今、何の益もない、不毛の事態にしか見えないだろうか。
「これが一体何になる?」としか思えない、その事が必ず豊かな事へと導かれて行く。信じよう。又、パウロは摂理の信仰を持って、事態を見た。
オネシモは主人を裏切って逃亡したのだが、信仰のメガネをかけて見る時、それはオネシモを永久に役立つ者として、取り戻すために、一旦離されたのだと。

私たちも信仰に立って、すべての事柄に神を認め、摂理を認める時、物事の見方が全く変えられる。ガッカリし、失望する時は、神のご計画を認める時だ。今、もしあなたが失望にあったなら、神のご計画を信じ、信仰的見方に立とう。
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先の見えない状況、不毛な現実の前でだめだ、だめだとつぶやくなら、私達は力ないクリスチャンだ。否定的な声に耳を貸さず、今しばらくの闇の中でやがては、永久に取り戻すであろう祝福を確信していよう。