2010年01月11日(月)

「・・神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ」創世記22:8



アブラハムは、25年間、神の約束を待って、イサクを得た。アブラハム100歳、サラ90歳の時だった。長い長い忍耐の末だ。しかし、スーパーマンでなく、彼らも私たちと同じ弱い人間であり、数々の失敗があった。

時を待ちきれずに、肉の手段で、イシマエルを産み出してしまった。しかし、ヘブル書によると、アブラハムは信仰の人として、名を連ね、賞賛を受けている。イサクを献げるという大きな試練が臨んだ時に、アブラハムは従順に従った。

その彼に神は「あなたがこのことをなし、あなたの子、ひとり子を惜しまなかったから、確かにあなたを大いに祝福し」と神から祝福を受けた。だが、25年も待った、目に入れても痛くない最愛の子だ。そして、このイサクから子孫が増え広がるはずだ。

この事はどうなるのか。イサクが途上で「いけにえの羊はどこに」と問うた時に、彼は「神が備えて下さる」と答えた。彼はこの事において神を全く信頼した。しかし、いけには無く、イサクをいけにえとし、刀を振り下ろす瞬間だった。

止められた。そこに代わりの羊があった。これは彼も知らなかった事だ。私たちも一歩先は見えず、明日の事も知らない。しかし、神は知っておられる。一歩一歩この神に信頼し委ねて歩む時、一生涯の間、「主の山の上に備えあり」を経験して行く。
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明日の事はわからなくても、神に信頼して歩む時、必ず「主の山に備えあり」を味わう。目に見える所は不安でいっぱいだろうが、神に頼り従って行こう。神の備えをはっきり知る。