2010年05月11日(火)

「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ローマ8:13



律法が「貪るな」と言わなかったら、貪りは起こらなかった。しかし「貪るな」と言われたばかりに、貪りが引き起こされる。ある人が、たまに玄関脇の植木鉢が盗まれるので「鉢を持って行かないで下さい」と張り紙をした。

すると、次々と盗まれてしまい、とうとう張り紙を取った。「すがるな。味わうな。さわるな」と禁止されれば、されるほど、更にますますその事をしたくなり、はまって行ってしまう。これが罪の性質だ。

ダビデはバテシバを見た時に、姦淫するなとの戒めが来た事だろう。しかし、そこで神を見上げ、頼らずに、どんどん妄想し、誘惑に乗り、行動に移してしまった。罪の性質は、禁止があればあるほど、そうしたい欲望、衝動が強くなる。そして、心の奥の奥では、そんな自分を許していることが問題だ。

セールスマンは、顧客にそれを持つ事がどんなにハピーで心地良いかを情報提供し、欲望さえかき立てれば、後は放っておいても、商品を購入するのは時間の問題だと言う。強烈な欲望が来るなら、奥底では許しているので、必ず行動に移し
てしまう。

ギャンブルや飲酒や様々な依存もそうだが、「止めよう」「止めなくちゃ」「止めたい」と思う、更に底に「まあ、いいや」「少々大丈夫」「神様赦してくれるし」との思いがあり、この底の思いが問題だ。肉を楽しんでしまう。罪を憎んでいる「つもり」と裏腹に、底にある思いに御霊の光で照らされ、悔い改めに導かれるように。あなたの底の思いはどうだろう。
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頭では理解していても、心底、罪を憎み、罪と戦う思いが弱いのではないだろうか。罪の誘惑と真剣に向き合うために自分自身の罪に対する甘さを神様に取り扱っていただく事から始めたい。肉の思いにはっきりと「ノー」と言える様に祈っていたい。