2010年07月11日(日)

「この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています」Tテモテ1:5


信仰者同士で、時に議論になる。教理や様々な事について。ある時、青年たちで、
UFOはあるか無いかの議論になり、皆が自分の考えを主張し、何だか気まずい
険悪なムードになってしまった。

一人の人が、心に平安無く帰宅した。そして聖書を読んでいると「果てしのない
空想話と系図とに心を奪われたりしないように・・論議を引き起こすだけで、信仰
による神の救いのご計画の実現をもたらすものではない」と示された。

議論をして平安が無くなるのは、信仰の傘のもとに、自分の正しさを主張し始め、
いつしか神は飛んで、自己主張になるからだ。そこに肉が出てしまう。議論のた
めの議論になる。

神学的議論にしてもそれは、「信仰による神の救いのご計画の実現をもたらす」
ものかどうか。議論になると、とにかく負けるのが悔しくて、絶対に負けたくな
い。相手を打ち負かしたい。勝つことがすべてとなってしまう。

あなたも経験あるだろうか。何が目的なのかがわからなくなる。「自分の言って
いることも、強く主張していることについても理解していない」の通りだ。ここ
から徒党や分裂が生じる。

私達の目標は「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛」だ。
「愛」が目標だ。「この目当てを見失い、わき道にそれて無益な議論に走」りが
ちだ。向上のための意見交換は、非常に良い事であり有益だ。いつも動機が
「愛」であることを、しっかり定めていよう。

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言っている事は正しいが、愛が目標だろうか。愛が無いなら間違っている。正し
いだけで愛が無いなら、相手の心に響くことも届くこともない。うるさいシンバ
ルになってしまう。愛がある時に、正しい事が、真に正しく真理となる。愛を祈
り求めよう。