2010年08月10日(火)

「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう」詩篇32:8


主の導きを求める時、「環境」をよく見て行くことは重要だ。パウロは二度も環境を通して、行く手を阻まれた。アジアでみことばを語る事を禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方を通った。ビテニヤに行こうとしたが、止められ、トロアスに下った。東から来て、南も北も閉じられたので、残る西に向かった。

閉じられた理由は、神のご計画が、ヨーロッパ伝道にあったからだった。もし、神の阻止がなければ、間違った方向へ行っていただろう。私達一人一人にも神のご計画があり、時に行く手にストップをかけて導かれる。ある志があって、しかし門が開かれず、状況が整わないなら、それは神の御心ではない。

入試類が、不合格なら神の御心でない。神からの「ノー」の答えだ。私達はストップがかかると、導きを失ったと勘違いし、迷子になってしまったような不安感に陥るが、そうでなく「ノー」という明確な「導き」であり、別の道に御心があるという事だ。次の導きを「待て」ばよい。

しばしば、閉ざされる事によって、導きを知れる。又、祈っていて、御言葉もあり、門が開かれたなら、それは御心であり、その方向に進めばよい。御心の門は、ひとりでに開く。神が開かれるからだ。自分でこじ開けるのではない。必ず目の前で門が開かれて行く。御言葉、祈りによる平安共に、状況をよく見ていよう。
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突然の病気や、受験の失敗もそこに神様の関与を知っているから、私達は心が守られる。私だけのために準備された御心の道が、その都度開かれて行くことは、何と感謝な事だろう。自分の思いを捨てて導きをずっと見ていよう。