2010年11月10日(水)

「あなたの神、主が、あなたを良い地に導き入れようとしておられるからである」申命記8:7


荒野でのイスラエルを見る時、何と勝手な、自己中心なと思うだろうか。出エジプトに際して、絶体絶命の危機に、神の壮大な奇跡を見た。目の前で海が分かれて助けられるなど、後にも先にも、何という奇跡だろう。どんなに大歓声であった事だろう。輝かしい神の力を見た。

しかし、こんな驚異的な奇跡を見たすぐ後で、荒野に入った途端、やれ水がない、食べ物がないとぶつぶつと不平不満噴出だ。さっき神の力を見ただろう、何という事だとイスラエルを見て思う。しかし、自分自身もまさにこのイスラエルだ。順調に思い通りに行っている時だけの感謝で、少し状況が険しくなると、途端に神を否定する。

「何で!何で!」と神を責め、反発する。要するに自らの求めは、神でなく、自分の都合、自分に都合の良い人生だ。不都合になるや、心を屈折させ、自己憐憫に浸り、周囲に嫌な思いをさせる。自分の欲望と思いが王座を占めているなら、信仰が少しも成長しない。

良い時はいいが、状況が悪化した途端、神を責める。人と比較しては落ち込む。自分の感情、思い、欲でなく、主をあなたの心の王座に据え、御言葉に従って生きる事が大切だ。良い地へ導き入れようとしておられる。不満たらたらで無い、感謝と喜びと安らぎの地へ導き入れて下さる。
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逆境の時にこそ生きて働かれる神様に触れ、知って行けるのに、あれこれと自分の思いが重なり霊的な喜びや希望が失われる。何も見えなくなっても最善をされる神様のご計画は進行中だ。不満、失望が来るとすぐに神様だけに心を向けよう。