2010年12月11日(土)

「主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください」詩編119:149


ある人がダイエットしていた。ケーキ店に近づいた時、こんな祈りをした。
「主よ、ケーキを買う事が御心でしたら、駐車場が空いていますように。御心で
なければ空いていませんように」ケーキ店に来ると駐車場が空いていた。

笑い話のようだが、これに近い事を私達もしていないだろうか。自分のプランを
しっかり決めていて、主よ、御心示したまえと祈る。しかし心ではすでに決まっ
ている。
決まっているなら、無意識にそれに反する御言葉は排除する。目に留まらない。
わかってするなら、とがめも来るが、無意識なので自分でも気づかない。自分に
都合の良い御言葉を取ってしまう。

間違いに進まないためには、自分の願望を一旦、主に明け渡すことだ。主のもと
に置く時、それが真に主からのものであれば、返って来るし、そうで無ければ戻
らない。戻らないなら、その方が私たちにとって良いのだ。

もし、主からのものであれば、揺るがない平安と共に返って来る。そして、確信
を与えられて前進して行ける。私たちの祈りは、「私はこうしたい」「私はああ
したい」だろうか。

発想を転換して「主は」私に何を願っておられるのか、「主は」私に何を求めて
おられるのか、じっくりと祈りの中で聞いてみよう。それこそ御心にかなった主
の喜ばれる祈りだ。その祈りは必ず聞かれる。

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しばしば「私の決めているように、私を生かして下さい」の祈りになってしまう。
又、「ああして下さい、こうして下さい」ばかりになる。主は、私に何を求めて
おられるのか、の視点に立って、主に聞く祈りをしてみよう。