2011年03月11日(金)

「なぜ・・ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか」ヨシュア17:14



ヨセフ族は、カナンで、広大な相続地を受け取ったにも関わらず、それらでは不足で満足できない、もっと欲しいと不満を訴える。恵みを充分に与えられているのに、不平不満しかない。恵まれているのに、どうだろう。自らの状態だろうか。
誰が見ても充分なのに、自分には不足で、不満足だ。私たちの信仰生活も同様だ。

恵みを見ようとしないなら、何の感謝も無い。どんなに恵まれていても、自分の心は常に欲求不満だ。主が言われたように「感謝する」事は大切だ。感謝を献げて行く時初めて、恵みを恵みとして受け取れる。感謝が無いならいつも不服で、与えられているものの、大切さ、尊さ、かけがえのなさに気づけず、大切にでき
ない。又、それを生かして行く事ができない。恵みをドブに捨ててしまっている。

感謝して行く時、初めて恵みを恵みとして認識できる。感謝の思いが強い時、それを大切にできる。生かそうとする。一つ一つの恵みを大切にしているだろうか。
家族はどうだろう。主が与えて下さっている夫や妻、親や子、友人はどうだろう。余りに身近過ぎて、当然過ぎて、恵みがわからない。大切にしているだろうか。それとも不満だらけだろうか。

与えられた時間、働き、賜物、境遇、人々・・今一度、与えられているものに感謝し、受け取り直し、大切にして行こう。神は感謝する者に、更に感謝すべき事を与えられる。恵みが更に見えて来る。
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不平は言わなくても今あるもので満足しよう、我慢しようの気持ちがある。一歩踏み出しもっと積極的に喜んでみたい。神様が選び与え身のまわりに置いて下さっている一つ一つのものがとても大きな感謝に変わって行く。