2011年06月10日(金)

「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。」イザヤ48:10


銀を精錬し、炉で溶かして、不純物を取り除く。高温の、熱い炉の中で溶かさなければ、不純物は除去できない。私たちも、内にある不純物を除去するために主は「悩みの炉」で試すと言われている。その悩みの炉の中で、自分の弱さや内側のものがあらわにされる。不純物が浮き彫りにされる。それは、私たちの不純物を取り除き、聖めるためだ。そのために試みを通される。

不平不満が噴出し、愚痴が出てイライラし、反抗的になり、感情のコントロール不能になるかも知れない。そんな自分の弱さを自分自身が知る。しかし、耐えられない試みは無い。必ず耐えられる試練であり、脱出の道も備えられている。信仰人生で、出会う一つ一つの試練は、すべて乗り越えられると。許容量オーバーの試練には会わせられない。これは主の約束だ。

しかし、その試みの中で、正しい態度が必要だ。屈折したり、逃げたり、意気消沈するのでなく、神からのものと、信仰持って受け取る事だ。自分の思い通りにならないし、自分の思いとは全く違うかも知れないが、神が自分のために最善と思われる事を、必ず成し遂げて下さる。肝心なのは、自分の思う最善でなく、神が自分のために思って下さる最善だ。神に不可能は一つもない。神は最善のご計画をして下さる。そして、自分は、忍耐から練られた品性が生み出され(ローマ5:4)変えられて行く。
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試練を上手く避けて通る事もできるが、それでは自分は何一つ変わらない。神が必ず益となると約束された試みだ。信仰を持って受け入れ、変えようとしておられる自分になれるよう、祈り明け渡していこう。