2011年07月11日(月)

「主はレアがきらわれているのをご覧になって、彼女の胎を開かれた」創世記29:31


レアは、ずっと妹ラケルとの比較に生きてきたかも知れない。ヤコブとの結婚によって、ますます劣等感が強くなって行った。そんなレアを主は憐れまれた。それでレアの胎を開かれた。「ルベン」と名づけ、主が悩みをご覧になったと言った。ルベン誕生により、夫が今こそ自分を愛するだろうと思った。しかし、そうはならなかった。第二子のシメオン出産は「主は私がきらわれているのを聞かれて」とレアが神に祈った結果だった。そして次々と産み、最後はユダ「主をほめたたえよう」と名づけた。

レアは変えられて行った。これまでレアは、自分の容姿等をラケルと比較して劣等感にさいなまれ、また夫がラケルを愛していて、自分には気持ちが無いことで悩み苦しんでいた。しかし、主を見上げた時、変えられた。レアの女奴隷が男児を産んだ時は、アシュルと名づけ、レアは「なんとしあわせなこと。女たちは、私をしあわせ者と呼ぶでしょう」と言った。

私たちは何を学べるだろう。レアは劣等感の中で生きて来て、又、夫は妹ラケルを愛していて、夫の愛を求めても〃得られない境遇にいた。満たされない、不幸な、寂しい状況だ。そんな中で、レアは神に目を向け、神の愛に、憐れみに目を向けて行った。神は、レアの不幸な境遇を通して、ご自身に近づけて下さった。私たちの悩み、問題を通して、神の愛を知って行ける。
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人からの評価に目を向けず神様の真実な報いのみに望みを置く時に、神様は豊かに応えて下さる。レアの系図からイエス様はお生まれになった。