2011年10月11日(火)

「ダビデはオリーブ山の坂を登った。彼は泣きながら登り、その頭をおおい、はだしで登った」Uサムエル15:30


ダビデの息子アブシャロムは、民の心を奪い、父に謀反を起こす。実子が自分を攻撃するわけであり、その心労、心痛はいかばかりだろう。相手は愛する子供であり、それと戦う事になる。勝利するとは、つまり、息子を失うことになるわけだ。しかし、戦わなければ、自分が殺される。戦う事もできず、戦わないでいる事もできない。そこで、ダビデは戦わずして、逃げる事を選んだ。

逃げるしか方法は無く、又、それが最善の道であった。その苦悩、辛さ、悲しみはどんなものだったろう。敵国の敵ではなく、息子が、身内が襲って来るという。しかし、私たちも、信仰生活でこういう局面を体験する。対人関係において、信仰者である以上、戦うわけにはいかない。相手は容赦なく批判、非難、中傷をして来たとしても、ただ忍耐し、耐え忍ばなければならない時がある。

私たちは、主の十字架を仰ぎ見ることができる。十字架自体が何と理不尽だろう。罪の無い方が、罪となっておられる。私たちがつき従う道が、自分の正しさを主張する事でなく、主の十字架を負うことである事を学ばされる。そしてダビデは詩編で、あるがままの気持ちを痛み、悲しみ、嘆き、苦しみをすべて神に訴え、告げている。私たちも、どんな時にも避け所があり、御翼の陰があるとは何と幸いだろう。
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へりくだり人となり十字架の道を歩まれた主を思い、自分が正しい時こそが誘惑と人に反応せず主を呼ぼう。自己主張の道は虚しい。主に身を避けよう。