2012年02月09日(木)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3 


ピリピ教会には、不一致の問題があった。「ユウオデヤとスントケ・・あなたがたは、主にあって一致して下さい」と。ピリピ教会には、外部からの反対者からの迫害もあった。そのためにどうしても一致が必要であった。そして、「キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがある」ので、だから、一致を保ち、志を一つにして行くようにと。

教会の一致を妨げるものが、「自己中心」と「虚栄」だ。そして、一致に必要なものが「へりくだり」だ。それは「互いに人を自分よりもすぐれた者と思う」ことだ。私たちは皆、自分のメガネを持ち、自分の物差しを持っている。これが自己中心であり、自分の思いに固執する。そして、自分の益だけを求める。

これが妨げるため、相手の本当の姿を、正しく見ることができない。これを捨てる時に、初めて相手の立場に立ち、理解して行くことができる。「虚栄」とはプライドであり、自分が特別な人間だと認められたい。主のへりくだりと対極をなす。へりくだりとは、「互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ということだ。

主は、神であられたのに、神の栄光、特権を何もかも捨てられて、ご自分を捨てて、無にして、来て下さった。そして、死にまで、十字架の死にまで従われた。自分には出来ない事を認め、聖霊に導かれる時、主の心を心として歩ませて下さる。
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自己中心とプライドを保ったままでの一致は不可能だ。家庭や職場で「何事でも自己中心や虚栄からすることなく・・」の御言葉を歩もうとする時、中心はいつも自分であると気づかされる。