2012年03月11日(日)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを 認めさせます」ヨハネ16:8        

              
 
ある人が、過重労働の中、仕事の重圧にストレスは溜まり、とうとう心身に限界
をきたした。食欲無く、眠れなくなり、睡眠薬に頼るようになった。非常な恐れ
や不安、孤独感に襲われ、診察を受けた結果、しばらく休職となった。そんな時、
知人に誘われ、行ってみようと思えて、教会へ足を運んだ。

そこでの賛美の歌、祈り、聖書、何もかもが生まれて初めてで、戸惑ったが、し
かし、カラカラに渇ききったスポンジが水を吸い込むように、どんどん心にしみ
渡って行った。何かしら不思議な安堵感があった。それで通うようになった。

しかし、余りにも苦しかったので、何でもよい、ただただ、わらにもすがりたい
だけだった。自分の「罪」が、何もわかってはいなかった。ある日、「自分はだ
めな人間」と言った時に「それは感謝ですよ」と、だからこそ、神の力を知れる
と言われ、カチン!と来たのだ。

だめ人間だと、他人から同意された事に激しい怒りが湧いた。口先では言うが、
自分は絶対に思ってなどいない。その時、自分のプライドがあらわにされた。自
分の力で生きて来て、人一倍高いプライドがあり、そのプライドが神を認めさせ
なかった。

神など必要無い。まさに自分が神であり、恐るべき自分の高慢を見せられた。御
霊の光であった。人より優位に立ちたい、人に勝ちたい、認められたい、今まで
の人生そのためにだけ、生きて来たとわかった。罪を認め、心から悔い改めた時、
大海のような平安に包まれた。

・・・・・・・・・・・・・・
御霊が、自分の本当の姿を見せて下さる。御霊によらなければ、自分の姿は何一
つわからない。色々な出来事の中で、普段は全く見えない、底に潜む様々なもの
に気づかせ、光のもとに出し、信仰人生を自由に、自由に、喜びに満ちたものに
して行って下さる。