2012年05月11日(金)

「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」ヘブル3:15


主の御言葉を聞き、導きを受けながら、それを無視したり、なおざりにしたり、ぐずぐずし続けていると、そのままの状態がキープされるのでなく、段々、心が頑なになって行ってしまう。又、良心にとがめを感じているのに、悔い改めたり、道を正さないなら、心は固くなると警告している。良心の声を無視し続けると、いつしか良心の声が聞こえなくなる。三角形の形をしたものが、心の中にあるとして、その角が心に当たるので、心にとがめや痛みが生じる。

しかし、それが回り続けると、角が取れて丸くなる。そうすると、心にとがめや痛みを感じなくなる。それは恐ろしい状態だ。対人関係でも、いつも忙しくて、又、聞く気がなくて、相手の言うことに耳を傾けなければ、相手はいつしか話すことを止めてしまう。全く話さなくなる。良心もそのように機能を停止してしまう。すると、心が頑なになり、主の戒めや命令も、全く何とも思わなくなってしまう。

聞こえると困る、都合の悪い御言葉は、聞こえない事にしていないだろうか。パウロが、アテネで御言葉を語った時に、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言った人々は、二度と聞く機会が無かったかも知れない。「またいつか」という気持が無いだろうか。「きょう」と、主は言われる。従うべきことがあれば、「きょう」ただちに従おう。機会を逸する事のないように。
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御言葉や導きを聞いた「きょう」が出発点だ。悔い改めるよう促して下さる声をきちんと受け取り、従って行かなければ自分では何も変われない。自分に語られた御言葉の力を信じよう。