2012年08月09日(木)

「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか」ガラテヤ5:25


御霊に導かれて歩むには、まず、御言葉が大切だ。主は御言葉に反した導きをされる事は決して無い。御霊の導きと、御言葉は合致している。御言葉と相反する導きは無い。御霊は、御言葉を通して語りかけられる。大切な局面では、御言葉が与えられるよう祈ろう。又、御霊は環境、状況を通して、御心を示される。それは御霊の働きだ。

パウロの一行がアジアで御言葉を語る事を禁じられ、ムシヤに面した所に来た時、ビテニヤの方へ行こうとしたが、それも禁じられた。そこでムシヤを通り、トロアスに下った。そこで幻を通してマケドニヤへ行く事を確信した。あちこちと進路を止められる事により、残った道へと進んだ。状況により、御霊が導かれるということだ。

私たちの状況をよく見ていよう。御心の進路は開かれるが、御心でないなら、道は必ず閉ざされる。状況により、御霊の導きを知ることができる。自分の思いが強い時には、気づかぬまま、自分の主観に飲み込まれてしまうかも知れない。信頼できる導き手の助言を求める事は有益だ。彼らの様々な経験を通っている。一緒に祈ってもらうと良い。

御心は一つであり、御心なら御霊の一致があるはずだ。「神が混乱の神ではなく、平和の神だからです」。御霊の導きには、混乱ではなく、必ず御霊の美しい秩序がある。そしてそこには平安がある。御霊は私たちを御心へと導かれる。
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肉はいろいろ考えるが、御霊の導きを求めひとつ心で祈っているなら、御言葉、状況から一致したひとつの道が見えてくる。共に祈っている誰もが主による確かな導きを受ける。迷っているなら御霊の導きを共に祈ってもらおう。