2012年10月11日(木)

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す・・」ローマ5:3

御言葉によると、どんなに苦しい厳しい試練であろうと、必ず希望へと至る。試練が忍耐を生じ、忍耐が品性を生み、品性が希望を生み出すと。患難は主から来る。その患難が、主のかたちへと私たちの人格を練り上げ、最後は喜びへと、希望へと至る。患難は大きな祝福だと。

しかし、世の価値観では、患難は、不幸であり、不運であり、悪だ。それゆえ、どうしてもネガティブに捕らえてしまう。避けたいものであり、受け入れ難いものだ。そのため、患難が主からのものであり、良きものという信仰に歩むには、人生の目的が、しっかりと主の目的と合致している必要がある。

でなければ、試練が来る度に、「何で、何で」と不平不満、反発、自己憐憫、自己防衛に陥る。本音は何だろう。安穏な生活だろうか。人に良く見られたい、幸せが欲しい、富を得たい、又は自己実現だろうか。家内安全、無病息災、商売繁盛か。それなら、患難を喜ぶことは決して出来ないし、患難に希望を見い出す事もない。

私たちの生きる目的は、主の目的と合致しているだろうか。私たちは試練の度に、鍛錬され、成長が与えられ、キリストのかたちに変えられて行く。聖霊によって注がれた神の愛によって、患難さえも喜んで行ける。患難をも喜べるのは、御霊による。自分の力ではなく、自分から出たものではなく、御霊によって与えられるものだ。
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患難の時に、これが忍耐を生み出すとの御言葉を本気で信じてみよう。痛い、悲しい、悔しいとその時々に肉の対応ではない御霊による導きの助けがある。導きに従って患難を主と共に抜けて行きたい。