2012年12月11日(火)

「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」ヘブル3:15


イスラエルの民は、多くの奇跡を目の当たりに見て、神の言葉を聞いていた。にも関わらず、心が頑なであった。出エジプトという、偉大な奇跡を見たのに、荒野に出た途端、食べ物が無いと愚痴を言い「あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしている」とつぶやいた。エジプトで死んでいたら良かったのにとまで言った。

愛なる主が、必要を必ず備えて下さる事を信じない。主が、民を愛して、マナを天から降らせ、水を湧き出させても、どれだけ奇跡を見ても、斥候達の言う事に怯え、エジプトに帰ろうと、神を信じる事が無かった。いつも疑い、不満だけで、最後まで神を信頼しようとしなかった。何という忘恩、何という事だと思うが、イスラエルの姿は自分自身の姿だ。御声を聞いても、ないがしろにし、真剣に受け止めない。

又、自分の思いが強く、従おうとしない。これが心を頑なにすることだ。それを続けると、どんどん心が固くなる。いつしか石のようになり、感覚が失せ、悔い改める事もできなくなる。せっかくエジプトを出たのに、心を頑なにした民は約束の地に入れなかった。御声を聞いた時に、心を開いて受け止め、主の示しに従おう。御声を聞けること自体が、大きな恵みなのだから。今、目の前に示されている事に一歩踏み出そう。そうするなら、何にも代えられない平安と喜びを経験する。
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今日、御声を聞くには、御声を聞こうとする心の状態に整えられることが大切だ。毎朝のデボーションで主に向かい耕された心で御言葉に向かおう。