2013年06月09日(日) 「ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人 の幸いをこう言っています・・不法を赦され、罪をおおわれた人たち は幸いである」ローマ4:8
「ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人 の幸いをこう言っています・・不法を赦され、罪をおおわれた人たち は幸いである」ローマ4:8
ダビデは、姦淫と殺人の罪を犯して、隠ぺいしていた。王であり、 自分の意のままだ。誰も何も言えない。しかし、神はすべてを見て おられ、介入された。預言者ナタンを遣わされた。 ナタンはダビデに告げた。貧しい人が大切にしていた一匹しかない 子羊を、富んだ人が取り上げ、自分の客のために調理した。ダビデ は「そんな男は死刑だ」と叫んだ。ナタンは「あなたがその男で す」とずばり指摘した。ダビデは、真っ直ぐな断罪に打ちのめされ た。 「私は主に対して罪を犯した」と罪を認め悔い改めた。ダビデはト ップであり、全権力を持ち、その力で、すでにウリヤを殺害してい る。ナタンなど簡単に打ち首にできる。しかし、ダビデは悔い改め た。王が、人々の手前も関係無く悔い改めた。 その瞬間ナタンの言葉が臨んだ「主もまた、あなたの罪を見過ごし て下さった」。主は真実だ。どんな罪も、悔い改めるなら赦して下 さる。「人は蒔いたものを刈り取る」通りに、ダビデも刈り取った。 実子アブシャロムが歯向かい、戦いをしかけて来た。家族間の争い や、多くのごたごたに、苦しい刈り取りをした。 しかし、ダビデは取り返しのつかない過失に関わらず、赦され、義 とされた。私たちも同様だ。罪を抱えたままなら、平安を失い、苦 しくてたまらない。隠すなら、嘘の上に嘘を塗り重ねて行く。その まま主のもとへ行き、告白しよう。「不法を赦され、罪をおおわれ た人たちは幸い、主が罪を認めない人は幸いである」。 ・・・・・・・・・・・・・ 「私が罪を犯しました」と認める時、「主もまた罪を見過ごして」 下さる。悔い改める時、心がすっきりし、平安になり、もやが晴れ る。赦しを経験し、その度に主の愛を知る。赦されて〃生きて行け る幸いを知る。