2013年07月11日(木) 「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」ルカ10:39
「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」ルカ10:39
マルタは、テキパキと家事をこなせる、有能な人であり、主を歓迎したいがために、懸命に主をもてなそうとした。まず片付け、掃除から始まり、料理の献立は最高のものを用意した事だろう。大奮闘だ。思いのほか手間取り、段々夕食の時刻も迫って来る、焦って、イライラし始める。ふとマリヤを見ると、何もしておらずに、座っているではないか。そんなマリヤに腹を立てた。しかし、マリヤは何もしていないのではなく、主の言葉を一言も聞き漏らすまいと、じっと真剣に耳を傾けていた。 私たちも多くのなすべき事があり、責任がある。又、楽しみや喜びがあり、又、多くの対人関係がある。勉強、仕事、家事育児、リクレーションやレジャー娯楽があり、それらは良いものであり、罪ではない。しかし、その「良いもの」が、「どうしても必要なもの」を、圧迫して来る。「どうしても必要なものは一つだけ」と言われた。「ベター」が「ベスト」を追いやっていないだろうか。本末転倒になってしまう。 仕事は良いものだが、主との交わりが持てないほどに、忙しければ、それは問題だ。罪でないだけに気づかずに流されてしまう。一つだけの必要なものは、頭ではよくわかっているのだが、それができないだろうか。忙しさの問題でなく、交わりを持たずともやって行けるという、心の問題なら、その事も主に告げよう。主は助けて導いて下さる。 ----------- どうしても必要なものは一つだけだと本気で信じているだろうか。目の前の人、目の前の仕事に仕え、大切な主との個人的な交わりを後にまわしていないだろうか。まず主の前に座ろう。