2013年10月10日(木)

「だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります」ヨハネ7:17


神を懸命に求めているのだが、出会っているという実感が無いだろうか。祈ってるが、祈りが届いているのだろうか?聞かれている気がしない、わからないという人々がいる。求めているのにどうして?と。求めよ、そうすれば与えられると言われ、求める者には答えて下さるのではないのかと。

求めているが、神が何だかよくわからないという時、自分に都合の良い神を求めている場合がある。自分に心地良い神を求めている。自分のイメージ通りの、自分の思う神が欲しい。しかし、そんな神は存在しないので、どう求めても出会いようがない。神がわからないという時、的がずれていないか。神を求めているのではなくて、自分に都合の良い偶像を求めていたりする。

それは、ただ愛してくれるだけの神であったりする。癒しを求めるばかりで「愛されている」事だけがすべてだ。罪やさばきは聞きたくない。又、自らの真の状態を見せられる事、訓練や鍛錬、試練は要らない。成長にも関心がない。神の御心より、自分の思いを優先していないだろうか。「神の御心を行おうと願う」時、心をおおっているおおいが取り除かれて行き、心の目がはっきり見えるようにされる。本当に大切なものがわかるようにされる。
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御心に従おうとする時、自分の思いは捨てて行く。その時に神様ははっきりとご自身を現して下さる。神様の御約束を信じ、頼って従う事実に何度も直面し、神様を新しく知って行きたい。