2014年04月10日(木) 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安・・」ガラテヤ5:22
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安・・」ガラテヤ5:22
あなたにとって、幸せとはどんなものだろう。順風満帆の人生のことだろうか。家内安全、商売繁盛、受験はすべて合格、畑は豊作、病気やけがが無いことだろうか。自分の願いが叶い、自分のしたい事が成し遂げられて行くなら、幸せだろうか。しかし、そうだろうか。ザアカイは、富が自分を幸せにしてくれると信じ、同胞から嫌悪される事がわかっていて、取税人のトップに昇りつめ、資産を持つが、その心は虚しかった。何の喜びも無かった。 自己実現を求め、生きがいや心の満たしを求めて、仕事に、趣味に、次から次へと様々な事に手を出し、駆け巡る人々を見る。あれなら、これならと、自分を満たしてくれるのではと。だが心は埋められず、ますます渇くばかりだ。人が求めているのは、「愛、喜び、平安」だ。これらが喉から手が出るほど欲しい。しかしそれ自体を、どんなに求めても得られない。 これは御霊の「実」であるからだ。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」自分の欲望充足を第一でなく、神を第一に求めて行く時に、与えられる実だ。神の御心を求め、従って行く時に、不思議に心が満たされて行く。自分の欲が叶う事でなく、自分を明け渡して、神に従う時に、真の喜びと平安、安堵に心が満ちる。その時、渇きがいやされる。 --------- 私たちにいつも働いて導かれている御霊を信じて、目指すものを自分中心の欲望から、神の御心へと選択し直して歩もう。目先の安堵にはない、見えない神の平安を知る。