2014年09月10日(水) 「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすために、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた」出エジプト13:21
「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすために、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた」出エジプト13:21
イスラエルの民は荒野にある間、雲の柱、火の柱をいつも見ていた。 進むにも、とどまる事にも、常に指示があり、雲と火により明確な 導きがあった。いつもそれらを通して、主を見、その導きを見てい た。「雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった」とあり、主 が止まられる所で、しっかりとどまった。 私たちはどうだろう。止まる事が苦痛で、どんどん自分で旅を続け たいと思ってしまう。前進したいと思う。しかし、主がストップさ せられている時は、主と共にとどまろう。そんな時こそが大切で、 その所で主は様々な学びを与えて下さる。 無駄にとどめておられるのではない。御心があり、その中で教えら れる事がある。今、ストップがかかっていたならじっと待とう。待 つべき時には、自分で動かない事が大切だ。動き出したい誘惑と衝 動が来るが、じっととどまろう。必ず主の時に、御心の時に、事は 動いて行く。 ある人がなかなか道が開かれず、待ちくたびれて、自分が進みたい 道に、合致する御言葉を勝手に取って来て、御心だと思い込もうと した。しかし、そんな事は、心の深い所に平安無く、確信も無かっ た。 そんな自分を明け渡し、右でも左でも御心のままにと、自分の好み でなく、ただ御心を示されるよう祈った。そしてどんなに時がかか ろうと、御言葉が与えられるまで、静まって待とうと決心した。 その時に初めて、心の真の安堵と平安を経験した。 ----------- 事が動かないとすぐに半信半疑になる。待つことは難しい。今とど まることが御心か、知恵を主に求めよう。御心なら、次に動くべき 時を悟るためにも今は静かに座っていよう。