2014年11月10日(月)

「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか」マタイ11:2



「わたしにつまずかない者は幸い」と、主は答えられた。私たちが
つまずくのは、どんな時だろう。「自分の」期待に、「自分の」思
いに、合わない時ではないか。とにかく「自分の」強い願い、思い
があり、それにそぐわない事で、つまずいていないか。自分に関係
の無い事で、人はつまずく事はない。

「自分の」気持ちを、相手が受け止めてくれない時、自分の思い通
りにならない時に、つまずいたと思う。そしてそんな神なら要らな
いと、去ってしまう。自分の幸せのみを追い求めるなら、主につま
づいてしまう。なぜなら、困難、悩み、試練は必ずあるからだ。
当時の、主の周囲にいる人々は、主を現世的、政治的指導者、権力
を持つ王として、主を求めた。

メシヤとして華々しく王位につく事を。しかし、王になるはずの主
が、最悪の刑であり、極悪人がかかる十字架刑で死ぬなどと、到底
受け入れられない。人々は自分たちの思いに合わない主を捨てた。
思い通りでなく、期待を裏切る主が腹立たしい。

私たちもどうだろう。信仰人生が自分の思い通りでない、願いが叶
わない、その時につまづく。その時の軸が「自分」だ。自分の気持
ち、自分の思い・・。その軸を神に変えてみよう。神のお心は?神
はどう思っておられるのか。その時に、今までの世界とは違い、神
が見えて、御心が見えて来る。
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自分軸で見ていくなら、ああでもない、こうでもないとすぐに混乱
する。神の基準で見ていくとき、意味のあるものと無駄なものの価
値が逆転する。神の軸でよく見てみよう。