2015年06月10日(水)

「なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかた ちと同じ姿にあらかじめ定められたからです」ローマ8:29



信仰人生で、「なぜ?」「どうして?」という事態が起きる。何が
どうなっているのかわからない。苦しいばかりだ。しかし、エレミ
ヤ29:11にあるように、神は私たちに決して災いを与えられない。
それは、平安と将来と希望のためのものだと。その渦中ではわから
ないが、ずっと後になった時に、パズルがつながるように、神のご
計画を知ることになる。

「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来
る」とあるように、すべての出来事に、神の支配と主権がある。
「雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちること
はありません」。目の前の出来事は、父の許しの中で起きている。

理解を越えた、わけがわからない事に遭遇する事があるけれど、
ローマ8:28の通り、すべてを益とされる。そこに神の関与がある。
しばしば自分を中心に置き、自分が思う通りの益、自分にとっての
最善が成ると勘違いするが、そうではなく、神が私たちのために備
えて下さる最善だ。

それは、自分の思い通りになるのではなく、「御子のかたちと同じ
姿にあらかじめ定められた」ように、御子のかたちへと変えられる
最善だ。自分の弱さや失敗があったとしても、そこで「万事益」の
信仰に立つ時、神が働かれ、御子のかたちへと変えられるように益
とされる。主に似せられて行く。そこに神の栄光が現されて行く。

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「神を愛する人々のために、神はすべての事を働かせて益とされ
る」。どんなにマイナスの事態をも、神を愛する人々のために、そ
こに神が働かれ、御子のかたちへと変えられるように、益とされる
とは、何と恵みで光栄な事だろう。