2015年07月10日(金)

「彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、 知恵のないことなのです」Uコリント10:12



ある人が、子供の頃、親の職業が嫌でたまらず、劣等感のかたまり
だったと証しした。友人たちに知られたくなくて、絶対に家にも人
を呼ばなかったと。劣等感がある時、会話もギクシャクしてしまい、
対人関係にも影響が出て来てしまう。

劣等感があるので、優越感によって、何とか自分を保とうとするが、
劣等感と優越感は根が一つなので、ぐるぐる行ったり来たりする事
になる。根が一つのため優越感だけを持って生きる事は不可能で、
必ず劣等感に陥る事になる。

あなたも劣等感に悩まされているだろうか。問題の解決はこのサイ
クルから解放されることだ。劣等感はどこから来るのか。それは人
との「比較」から来る。人との比較が無ければ、劣等感は無い。
「みじめになりたければ、比較せよ」との言葉があるが、ある人は、
それはまるでシーソーだと言った。

人が賞賛を受けるて上がると、自分はけなされているように感じて
下がる。何も自分はけなされていないのに、自分はダメだと思って
しまう。自分がほめられると、勝ったと思い、人を見下してしまう。
この比較は止める事が難しい。

しかし人にできない事が、神にはできる。神を見上げよう。そして
劣等感など無い振りをせず、ごまかさず、認めて行くことが大切だ。
主はいやし、解放して下さる。「できません」「しようとしない自
分がいます」と、祈って行く時、神はみわざを成して下さる。変え
て行って下さる。

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「・・それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたはわたしに
従いなさい」の通り、主を見上げ従って行けるよう祈ろう。横ばか
り見る比較には、大きな害がある。自分は自分、主の愛に安んじ、
いつも主の御心を求めて、従って行こう。主との交わりを太くしよ
う。