2015年08月11日(火) 「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます・・主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです」ヤコブ5:11
「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます・・主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです」ヤコブ5:11
「忍耐」を表わす言葉には、「〜の下に、とどまる」との意味があ るそうだ。日本語で、忍耐と聞くと、耐える事、忍ぶ事、「苦しい 事があっても、両腕で頭を抱え込んで、苦しみが、頭の上を過ぎる のをただ待つ」のようにイメージするかも知れない。消極的な諦め の感覚があり、ただじっと我慢するように感じる。 しかし、聖書の意味はそうでなく、前向き、積極的、信仰的に、 「希望」をもってとどまることだ。誰しも辛い事からは逃げたい、 避けたい。しかし、とにかく逃げずに、その試練の下に、とどまる 時、信仰者として成長を与えて下さる。「・・その忍耐を完全に働 かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、 成長を遂げた、完全な者となります」。 その試練の下に、とどまり続ける時に、成長して行くと。ある人が、 職場で、困難な仕事と対人関係に、厳しい局面に陥った。顧客に、 批判や文句で罵倒されたり、辛い場面に何度も折れそうになった。 しかし、祈りの内に、どうであれ、主の御心に従いたいと願った。 とにかくは、この苦しい事態の下にとどまろうと覚悟を決めた。 祈りに祈って、事態を受け止め、主に仕えるように、相手に仕えて 行くと、困難な中に、心の奥底に、揺るぐ事のない主の平安が与え られていることを経験した。そして、その後、プロジェクトは成し 遂げられ、困難は終わった。しかし、逃げなかった事で、信仰に一 歩前進が与えられた。 ---------------- いつも平安でいるということは、試練を避けて楽に過ごすことでは なく試練の中でも信仰によって不平や不満から守られている人では ないだろうか。主に頼り困難の終わる日に、成長を遂げていたい。