2015年09月10日(木) 「このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である・・』」Uコリント12:8
「このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である・・』」Uコリント12:8
パウロは、とげが与えられていた。どんなに苦痛であったろう。取 り去られるように、真剣に祈り求めた。これさえ無ければ、もっと 主のために働けるのに、真剣に徹底的に祈った。しかしその祈りの 答えは「ノー」だった。主は、とげを取り去らないと。 なぜなら、主の恵みは十分であり、取り去るより、そのままの方が、 更に主の栄光が現わされると。自分ではどうにもできない、どうに もならない「弱さ」の中にこそ、主の力が完全に現れるのだからと。 神の力は「弱さ」の中にこそ力強く働くと。私たちにも、弱さが与 えられているだろうか。 「この事さえなければ、私の人生はどんなにスムーズだったか」 「こうでさえなければ、私は幸せだったのに」難しい対人関係に 「この人さえいなければ」「この嫌な人さえいいなければ、こんな に苦しまずとも、こんなに悩まずに済んだのに」、辛い侮辱、又、 迫害、困難、何度も何度も「この事を、あの事を取り去って下さい」 と祈る。何とか状況を変えて下さいと。 しかし取り去られないだろうか。苦痛でたまらない、その中で、パ ウロは切なる祈りをささげた。徹底的に祈った。とげが与えられる 時には、とにかくまず主に祈ろう。御心なら取り去られ、御心なら そのまま置かれる。そしてその中で、神の力と栄光を現わされる。 その弱さに向き合う時、キリストの力におおわれ、強ければ決して 知ることのできない、主の恵みを知る。 ------------- パウロのように「私の恵みはあなたに十分である」との明確な答え を主からいただくまでは、くり返しとげに悩まされてしまう。何故 なのか何を学ばされているのか、弱さの中から主に問い続けたい。