2015年11月10日(火) 「主が来られ・・『サムエル。サムエル』と呼ばれた。サムエルは、『お話しください。しもべは聞いております』と申し上げた」Tサムエル3:10
「主が来られ・・『サムエル。サムエル』と呼ばれた。サムエルは、『お話しください。しもべは聞いております』と申し上げた」Tサムエル3:10
少年サムエルは、エリのもとで、養育されていた。ある時、突然、 主からの御声が臨んだ。エリの指示により「お話しください。しも べは聞いております」と答えた。すると、その一番初めの主からの メッセージは、エリの家への裁きであった。「彼の家を永遠にさば く。自分の息子たちが呪いを招くような事をしていながら戒めなか った罪による」と。 自分の師であるエリに伝えるには非常に、厳しい辛い言葉であった。 サムエルはエリに語ることを恐れたが、主の言葉をそのまま伝えた。 預言者とは、神から受けた言葉を、忠実にそのまま民に語る人のこ とだ。どんなに痛い辛い言葉であろうと、その通りに語らねばなら ない。これから預言者として立てられるサムエルへの、最初のテス トであったかも知れない。 私たちも「しもべは聞いております」、喜んで聞きますと主に向か いつつ、しかし、自らの罪を指し示され、自らの姿を照らし出され る痛い言葉、自分の願いと異なる辛い言葉、矯正の厳しい言葉 は聞きたくないだろうか。耳をふさいでしまうだろうか。痛い言葉 こそが恵みの言葉だ。 自分が変えられ成長して行ける。主から語り続けて頂くためには、 痛い言葉にこそ耳を傾けよう。「愛している」「共にいる」「すべ ての必要を与える」「願いを聞く」そいういう言葉を聞く時だけが、 「恵まれた」と思っていないだろうか。 ----------- 受け取らず聞き流そうとすれば、なにも学べない。主から教えられ ないことが、主からの祝福を遮断する。一番の罰ではないだろうか。 痛い言葉がありがたい。