2016年02月09日(火)

「サムエルは、すべてのことを話して、何も隠さなかった。エリは言った。『その方は主だ。主がみこころにかなうことをなさいますように』」Tサムエル3:18 



サムエルは、祭司エリのもとで、養育されていた。そのサムエルに、
突然、主からの御声が臨んだ。よくわからず、エリのもとに聞きに
行く。するとエリの指示により、その通りに「お話しください。し
もべは聞いております」と答えた。すると、その一番初めのメッセ
ージは、何とエリの家への裁きであった。

「彼の家を永遠にさばく。自分の息子たちが呪いを招くような事を
していながら戒めなかった罪による」と。自分の恩師であるエリに
伝え難い、厳しい言葉であった。サムエルはエリに語ることを恐れ
た。しかしエリにその通りに告げるよう言われ、主の言葉をそのま
ま伝えた。預言者とは、神から受けた言葉を、忠実にそのまま民に
語る人のことだ。

どんなに辛い、痛い言葉であろうと、その通りに語らねばならない。
預言者として立てられて行くサムエルへの最初のテストであったか
も知れない。私たちはどうだろう。口先では、「しもべは聞いてお
ります」、喜んで聞きますと言いつつ、しかし罪を指し示され、内
側の醜い姿を刺される痛い言葉、又、自分の願いや思いと異なる言
葉は聞きたくなくて、耳をふさぐだろうか。

心刺される痛い言葉こそ恵みの言葉だ。そこでこそ自分が変えられ
成長して行ける。痛い言葉にこそ耳を傾けよう。「愛している」
「いつも共にいる」「求めに答える」そいういう言葉を聞くときだ
けが、「恵まれた」と思っていないだろうか。
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人間の自己中心な目で、自分の本当の姿をはっきりとらえる事は出
来ない。成長続けるためには、主よりの痛い示しを受けとめ変わっ
て行くことだ。示され、教えられることこそ恵みで祝福だ。