2016年06月10日(金) 「・・御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい」ガラテヤ6:1
「・・御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい」ガラテヤ6:1
もし、過ちに陥った人がいるなら、そのままにしておかないで、そ の人を正してあげなさいと、主は言われる。「御霊の人であるあな たがたは」とあり、その場合、大事な事は、自分自身が御霊に導か れている必要がある。そのために、まずよくよく祈り、御霊の示し、 御霊からの言葉を受け取ることが大切だ。その時、御霊がこの事を させて下さるという確信が与えられる。 それゆえ心に平安が臨んで、平安をもって事に当たれる。そして自 分もよく整えられ、「柔和な心で」「愛をもって真理を語る」こと が大切だ。愛が無ければ、真理の剣で、返って心を刺し貫いてしま う。愛は、自分も罪人であり、同じ状況になれば、罪を犯すかも知 れず、もし自分が相手の立場ならと、思いやりを持って語る。 そうする時、御霊が働かれて、相手の心も開かれ、御霊が間違いを 示し、悔い改めに導いて下さる。ダビデを悔い改めに導いたナタン は、神からの示しにより、神に従ってその任に当たった。ナタンは、 相手の事を考え、ダビデによくわかるように、ストレートにでなく ワンクッション置き、羊のたとえを用いて語った。 ダビデはその話により、自らの罪の重大さがわかった。わかった時、 王であるにかかわらず、主の御前に悔い改めた。その瞬間、罪の赦 しが臨んだ。ナタンは用いられ、神からの大任を果たした。私達も 示されたなら、よく祈り、御霊の導きを受け、整えられて、従おう。 主は用いて下さる。 ------------ 人の罪はわかってもどう対処してよいかが難しい。それでも御霊様 が導かれるなら、よく祈り、主に自分自身を明け渡し用いていただ こう。自分自身も赦された者として謙遜に祈りながら対応しよう。