2016年07月11日(月)

「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は」詩篇32:1


人をどうしても赦せない経験があるだろうか。忙しい時には紛れて
いるが、何かの事があるとフラッシュバックして、恨みが思い起こ
され、怒りが湧き上がる。それなら、今もその人にコントロールさ
れ、影響受け続けている事になる。ずっと囚われの身だ。心は重く
苦しい。心解き放たれ、自由にされ、喜びと平安に満たされたいな
ら、どうであれ、解放される道は、その人を赦すことだ。

赦す時、心は苦しみから解き放たれる。牢獄から出る事ができる。
ある人が、どうしても赦せない人がいて、ずっと心が辛く、苦しく
てたまらなかった。その相手の事を考えると、心が暗くなり、苦し
くなる。どんなに楽しい時にも、影を落とした。自由になりたくて、
平安になりたくて、赦そうとするが、心は固まり、どうしても赦せ
ない。

もう苦しくて、どうにもならず瀬戸際で「赦せない私を、赦して下
さい。赦すことを受け入れます。自分自身を明け渡すので、助けて
下さい」と祈って、主に自分自身を委ねた。すると御霊の働きによ
り、不思議が起きて、赦すことができた。主のみわざだった。心に
平安と喜びが戻った。

主は十字架上で、私たちの赦しを祈って下さった。そしてその死に
より、罪を贖って下さった。その赦しがあるので、赦しを受け取る
事ができる。自分の力で赦すことはできない。主に明け渡して行く
時に、みわざをして下さる。赦せない自分が赦されるとは、何とい
う幸いで喜びだろう。
-------------
十字架の赦しが与えられたように、私たちにも主ははっきりと和解
を勧めておられる。赦しも和解もひとりではできないが、御心に心
を向け、感情でなく主の御言葉を素直に受けいれたい。