2016年08月11日(木)

「それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた」出エジプト13:18 


神が民をエジプトから出された時に、約束の地に導くのに、近道で
あるペリシテ人の国には行かせず「荒野の道」へ向かわせられた。
「民が戦いを見て、心が変わりエジプトに引き返すといけない」か
らであり、そこに神の配慮があった。長年の奴隷生活で、戦いの訓
練も経験も全く無い民が、敵との戦いなど恐怖で怯えてしまい、引
き返してしまうだろう。

私たちの価値観の中に、楽な道、平らな道、順調を好み、近道、早
く到達する事が善との思いがないだろうか。苦しい事、難しい事は
避けて通りたい。しかし、神は、民を近道ではなく、あえて荒野の
困難な道を通された。神が苦しい道を通されるのだ。神に不可能は
なく、何でもできる。今すぐに、願っているものを与えて下されば
良いのにと思ってしまう。

時間がかかり、まさに遠回りさせられていると感じる状況がある。
自分の思いと全く違う道だ。しかし、そこを通ってこそ、忍耐や信
仰が培われ、神の深い愛や慈しみ、真実を経験する。委ねる事を学
ばせられる。そこを通らずしてあり得ない。そしてその通り道には、
雲の柱火の柱が伴い、進べき道が示される。

荒野での灼熱の太陽から雲の柱で守られ、夜の暗闇を火の柱が照ら
した。その導きは、道中決して「民の前から離れなかった」。今、
荒野にいるなら、神を信じ、神に従って歩もう。雲の柱、火の柱で、
片時も離れず共にいて、導いて下さる。
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楽な道にしがみつく自我や無力を示されて通る道は痛いが、私達を
よく知っていてくださる主に無駄な工程は何ひとつない。先立たれ
る主に不安も不信仰も差しだしながら取り扱いを受け取って行こう。