2016年09月10日(土)

「志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人 があなたに信頼しているからです」イザヤ26:3

私たちの信仰人生はどうだろう。大きな困難、小さな問題、次々と
やって来る。天に帰るまで、この世にいる間は、問題が無くなるこ
とは無い。振り返っても納得だ。そんな時、問題が解決すると安心
する。しかし、問題のさ中は不安で不安でたまらない。思い煩いと
恐れに支配され、解決して初めてほっと安堵する。それなら世の人
と同じだ。

問題は次々と起きる。私たちの主は、そのまっただ中で「平安」を
約束して下さっている。「わたしは、わたしの平安を与える。わた
しが与えるのは、世が与えるのとは違う」と、世の安心とは全く違
う平安を与えて下さっている。問題の解決がまだ見えないまっただ
中で、主に委ねて祈って行く時に、主が共におられるから、思い通
りでなくても、どうであれ大丈夫だと思えて来る。

平安にされる。「志の堅固な者」は平安の内に守られるとある。そ
れは、自分の目が、自分の思いが、主に向けられている者のことだ。
目が問題や自分に向いている時に、平安は無い。不安で一杯だ。又、
あれやこれや、この世を漂い、この世のものに心がある時、焦った
り、イライラしたり、思い煩ったりと平安が無い。

今、悪い知らせに不安だろうか、経済的必要に思い煩っているか、
対人関係に悩んでいるだろうか。まず目を主に向けて、心を主にこ
とごとく打ち明けよう。祈って一つ一つを委ねて行く時、不思議だ
が、問題はそのままそこにあるのに、心が平安にされて行く。「主
の平安」を経験して行く。

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自分の思いが強いと、思い通りにならないなら、いつも思い煩いと
不安、又、イラ立ちにさいなまれる。だが、主に目を向けて、主が
最善をされる事を信じ、委ねて行く時、心が落ち着いて行く事を
経験する。大丈夫だと思えて来るから不思議だ。