2017年06月10日(土)

「わたしは高く、聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだる者と共 に住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすた めである」イザヤ57:15



アダムとエバがエデンの園で、神のようになりたいと、罪を犯して
以来、人はプライドで生きている。男性は仕事への野心、地位、名
誉に高いプライドを持ち、母親は子供に自分の夢を託し、プライド
を満たそうとする。対人関係では、プライドとプライドが衝突し、
火花を散らし、怒りや憎しみが生じる。

ある婦人は隣人に、いら立っていた。余りに立ち入って来るので、
怒りが湧いて来る。忍耐が限界となった時に、主のへりくだりを示
された。そして自らをよく省みる時、こちらにも非を示され、一段
下がってへりくだり、日頃の助けを感謝できた。すると相手も柔ら
かくなり、いい関係になり、そうこうしていると、悩みの相談を受
け驚いた。御霊に従う事の祝福を経験した。

プライドに生きると、決して心休まる時が無い。パリサイ人は徹底
してプライドに生きた人達だ。彼らの立派な行ないの動機は、愛で
はなくプライドだった。プライドでも立派な行ないが出来る。その
ため肉の行ないに気づかない。

しかし主はプライドとは無縁で、徹底して愛に生きられた。様々な
悩みや問題が起きる。その中でプライドが砕かれ、へりくだらされ
る。聖めようとの神のご計画だ。今、問題があるなら、あるいはプ
ライドが潜んでいるだろうか。主にあるがまま祈って行こう。取り
扱って下さる。

・・・・・・・・・・・
プライドによって良い行ないが出来てしまうので、それがプライド
によると気づかない。しかし動機はプライドであって、愛ではない。
パリサイ人になってしまう。動機が愛だろうか、心探って頂こう。
そして、御心に沿う動機へと導かれるよう助けを求めて祈ろう。